洋野町でfumotoが切り拓く、人口減少時代の地域の輝かせ方
岩手県洋野町
一般社団法人fumoto 代表 大原圭太郎さん
2025.05.19
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RElocaは「地域に特化した“実業”を地域と共につくり持続的な成長と発展を実現する」をミッションに掲げ、地域と共に成長していくことを目指しています。INTERVIEWでは、現在進行系で挑戦する地域の事業人にフィーチャーし、学びを深めて行きます。

第3回は、岩手県洋野町で地域おこし協力隊の受け入れ支援や町の産業振興に取り組む「fumoto」代表の大原圭太郎さんにお話を伺いました。

【大原圭太郎さんプロフィール】
仙台市出身。アパレル業界に身を置き、東日本大震災後は宮城県の工場と協力して独自のブランドを展開。2016年に、地域おこし協力隊として岩手県洋野町に移住。任期終了後の2019年9月、地域おこし協力隊の受け入れ支援や地域活性化を目的とする一般社団法人fumotoを設立。現在は洋野町に加え近隣市町村の地域おこし協力隊の受け入れにも携わりながら、メディア「ひろのの栞」の運営や木工食器の商品開発など様々な地域活性化事業を展開している。

高原を背に太平洋に面した洋野町では、いたるところから美しい水平線が見渡せる

fumotoの着実な成果|設立から5年半で32名の地域おこし協力隊員の受け入れに寄与

岩手県の最北端、太平洋に面した町 洋野(ひろの)。ウニなどの魚介類やサーフィンに適したビーチといった海の魅力と、酪農や木工が盛んな山の魅力の両方を楽しめるこの町の人口は1万4千人ほど。日本の多くの地域と同様に高齢化・過疎化が進む中、持続可能な地域づくりや移住定住に力を注ぐ。

大原圭太郎さんはこの洋野町の地域おこし協力隊第1号として、2016年に家族と共に移住した。

「アパレル業界にいた頃、東京で流行ったものが地方に流れていって、そこに人が集まるという構造に疑問を感じていたんです。もっと地域から新たな価値を生み出したいと思っていました。ちょうど子どもが生まれ、子育て環境や自分のキャリアを見直していた時、妻の地元である洋野町で地域おこし協力隊を募集していることを知り、チャレンジしました」

大原さんが洋野町の地域おこし協力隊に採用された時、同期は誰もいなかった。当時は役場の媒体で募集するだけに留まっていたため、応募者が集まりにくかったのだ。大原さんは観光振興をミッションとして、半年後に加わった移住促進担当の地域おこし協力隊と共に3年間活動。その間に感じていた地域おこし協力隊としての課題や難しさを糧に、任期終了後、自ら一般社団法人fumotoを設立。以来、民間の立場からこの町の活性化に取り組んでいる。

大原さんはfumotoの中核事業として、地域おこし協力隊の募集・採用と着任後の活動への伴走支援に取り組み、事業開始から5年半の間に累計32名の地域おこし協力隊が洋野町に着任した。人口と対比させて見れば、この町に32人の移住者が加わることのインパクトは大きい。しかも今年度任期終了予定者9名のうち、7名が町に留まるという。その7名は個人事業を始めたり、任期中に関係を育んだ企業へ就職したり、さまざまな形で町の活性化に寄与する活動を継続していく予定だ。

人口減少と高齢化が進む町の活性化を図るためには、地域の未来へ積極的に働きかけようとする人々が増えることがファーストステップ。fumotoは着実に洋野町に人材を増やし、次なる展開を呼び始めている。

地域のハブとなっている「fumotoのオフィス」は、洋野町の空き店舗を大原さんが中心となってDIYも交えながら改装

fumoto設立の背景|公益性のあることも民間で。地域で活躍したい人の「ふもと」となるために

地域おこし協力隊制度を有効に機能させ、高い定住率で、町にアクティブに活動する人を増やしていく。大原さんの取り組みの背後には、自身が任期中にリアルに感じていたこんな課題があった。

「まず、3年という任期の中で次の道を自分で見つけていくことの難しさがあります。常に“あと何年で終わる…”というプレッシャーの中で、任期後に対する支援がもっとあればと感じていました。

役場に所属していたことで行政の役割もよく理解できました。『行政は、公益性や中立性を優先し、町全体のために仕事をする立場にあるので、ひとつのイベントやなりわいのためだけに注力するのは難しい』組織の構造上、縦割りになりがちで、目的のために部署横断的に情報の共有ができたらいいのにと思うこともありました。

こうしたことから、もっと民間の視点や立場で、観光をやりたい人たちがチームで動いて町のPRに取り組めたらと。そして観光だけでなく、“この地域で何かをやりたい人”を増やし支援することで、町がより良く変わっていくのではと思うようになりました。つまり、公益性のあることを行政と協力しながら民間でやろうと思ったんです。

その手段を調べて行くうちに、民間で地域おこし協力隊の受け入れ支援を行なっている事例を知り、自分が洋野町でやれる役割はこれだ!と思えました」

大原さんは複数の自治体に視察に行き、得たことを洋野町にフィットする形にアレンジして町に提案。こうして誕生した一般社団法人fumotoの名には、「この町で何かをやりたい人の“ふもと”となるように」との思いが込められている。

20代〜50代まで、多様な地域おこし協力隊の受け入れ支援を行なっている。2024年度は移住コーディネーターや空き店舗活用、農業など多岐に渡る分野で募集を行なった。写真は2025年4月の地域おこし協力隊交流会の様子。

受け入れと伴走のポイント|実践的な制度説明と、相手のやりたいことを町に導入する柔軟な枠組み

地域おこし協力隊の受け入れにおいて、fumotoが大事にしていることがいくつかある。まずは募集方法だ。「自分の興味関心と一致する仕事があれば、行ったことのない地域へも飛び込んで挑戦してみたい」。そんな志向を持つ人たちが見ている媒体を選定し、洋野町の人や資源の魅力をストーリーとして伝えながら、この町での暮らしの充実や自己成長を想起させる募集告知を出す。

工夫の結果、それまで1〜2名だった応募数は初年度から10名に増え、fumotoで4名、役場で2名、数ヶ月後にfumotoでさらに3名を採用。翌年度以降、現在に至るまで毎年15人前後の協力隊が活動している状態にある。

また、採用後に安心して活躍してもらうために重要なのが、基本ではあるが、地域おこし協力隊制度の十分な理解だという。

「僕自身も着任後に改めて理解したことも多かったので、まずは制度の説明を丁寧に行い、経費として使えるのはどんな活動かなど具体的にお伝えしています。町として支援できることを明確にし、ミスマッチを防いでいます」

さらにユニークなのは、fumotoや役場が用意した採用枠の業務内容と、応募者のやりたいことが合致しづらかった場合に、「企画提案枠」という柔軟な枠を設け、応募者のやりたいことが町の課題解決や貢献につながるように、一緒に方向性を模索していることだ。

この企画提案枠では、例えば大学で民俗学を学んだ20代の女性が、洋野町の風土に詳しい方々に取材したり、フィールドワークをしたりしながら、未来へ伝承すべき洋野町の風土や歴史、民話、史跡の情報をまとめる活動を行うなど、想定していなかった地域貢献を産んだ。この枠は、より多様な人材を地域に呼び込むことにつながっているという。できる限り応募者の可能性を切り捨てないことは、町の可能性を切り捨てないということなのだ。

「地域おこし協力隊のいちばんの良さは、任期中にいろいろ試し、チャレンジできることにあると思うので、本人が洋野町でやりたいことをどう実現できるかを大事に伴走しています」

そして採用後は、地域おこし協力隊のメンバーの移住や働く環境への導入に寄り添う。LINEなどで一人一人とつながり、仕事の相談はもちろん何気ない話もしやすい、良きディレクター役・関係者をつなぐコミュニティの相談役として伴走し続ける。大原さん率いるfumotoのこうした丁寧な活動の積み重ねが、定住率の高さにつながっている。

このような成果が岩手県内の他の自治体からも注目され、現在は野田村や軽米町などの地域おこし協力隊の募集もfumotoが担っている。大原さんは、2022年度から一般社団法人いわて地域おこし協力隊ネットワークのメンバーとして、岩手県全体の地域おこし協力隊受け入れに関する自治体向けの研修の運営も務めるようになった。

fumotoが制作している洋野町の冊子にはファンも多い

地域の魅力の伝え方|この町の日常の良さを、地域の外にも中にも素直に表現する

fumotoが活動を始めて5年半、町に地域おこし協力隊やOB・OGも増えてきた。何か感じる変化はあるのだろうか?

「まだ町の中の何かが大きく変わったという実感はありませんが、洋野町のイメージが少し違って見てもらえるようになってきたと思います。関係人口増加事業の一環で行なっている洋野町のウェブメディア『ひろのの栞』や冊子、展示会などを通じて、 “洋野は面白いことをやってますよね!”という声が聞けるようになってきたので」

fumotoでは、メディア「ひろのの栞」の運営や、そこからつながるメールマガジン、盛岡や東京での展示会も継続して地道に行っている。そこではお得感をそそる名産品の宣伝や、派手なイベント告知などとは異なる独自のトーンで、「洋野町で生きることの良さ」が表現されている。

東京、盛岡、洋野町内で開催した「風土−足元の風景をつなぐ展」。町の人々の協力を得て、この町の暮らしに昔から根付いている民具を展示し、土地の歩みを紐解く企画展を行った。洋野町内の展示会は子どもから高齢者まで多くの町民が自らの町を改めて知る機会となった(写真:逸見祥希)

例えば洋野町の人々のリアリティのある言葉や表情、生活の中にある道具や営み。「情報」というよりも、この町の暮らしの「温度、匂い、肌感覚や時間の流れ」が伝わってくるようなものばかりだ。大原さんがそれらを通じて伝えたいのは「洋野町の日常」だという。

「日本の地方はどこへ行っても美しいし、食べ物もおいしいので、そこを他の地域と競い合っても洋野町の良さはうまく伝わらないと思うんです。それよりも、僕ら自身がこの土地に住んで感じている何気ない日々の良さを素直に出すことをコンセプトにしています」

その着眼点は、大原さんが観光担当として町をPRしてきた経験の中で培われたものでもあるし、移住直後から触れてきたこの町の人々から受け取ってきた本当の意味での洋野らしさこそが魅力だと捉えていることに由来する。

「移住してきた当初、勤務後に宅配のアルバイトをしていたんです。都会では時間通りに届けて当たり前のことが、この町ではすごく感謝されたり、飲み物の差し入れをいただいたりする中で、人口が少ない洋野では、どの仕事も役割も、一人一人の存在がとても大切なんだと気づかされた経験があります。だからこそイベント的な事柄だけでなく、日常にある価値を届けたい」

ふつうの町民一人一人が持っている、この地で生きる中で育まれた年輪や存在感に、地域外の人はもちろん町内の人も目を向け直し、自分たち自身の価値を再発見してほしい。fumotoの発信にはそんな意図が織り込まれている。

作 佐賀義之/木工職人

工芸の継承と革新|木工職人と共に新商品開発。地場産業を未来へつなぐ

2023年から、fumotoは洋野町の産業の一つである木工製品の開発・販売を始めた。地域の木工職人と新しいデザインの器を制作し、オンラインや盛岡市のショップ等で販売している他、東京で中川政七商店がプロデュースしている「大日本市」に出展するなど、洋野の木工の認知を高める活動を行っている。その背景には、木工産業の落ち込みや担い手の減少がある。

「昔から冷害による不作などで多くの人々が出稼ぎに出ていた大野地区に、1980年代、秋岡芳夫さんという工業デザイナーが木工によるものづくりとデザインを持ち込み、農閑期の産業として大野木工が始まりました。この秋岡さんを尊敬しているディレクターが隣の八戸市にいて、一緒に何かできないかということで始めた試みです。

下請けだけでは工賃も安く、発注元からの依頼がなくなれば職人さんの仕事は成り立たない。しかし職人さんが自分で商品開発や営業活動をする時間をつくるのは難しい。ですから、職人の技術を活かしながら、適正な販売価格と工賃による持続可能な仕組みづくりを目指しています」

これまでは大野木工という工芸や、漆器の生地としての木工製品が主体だったが、「木の器」として現代のライフスタイルの中で好まれるデザインを提案し、適正な価格に設定。購買数が増えれば多くの職人に展開できるため、直近は販売に力を入れていくつもりだ。

「せっかくこの町に根付いてきた産業・文化ですから、それが続いていくことに貢献できたら」

地域から新しい価値を生み出していく。
大原さんが洋野町に来る前から志していたことが、また一つ、形になろうとしている。

「fumotoのオフィス(青い窓枠の建物)」の隣の空き店舗を新規創業者のチャレンジの場として改装する計画

次なるプレイヤーを呼び込む|空き店舗を活用した複合施設で循環をつくる

今年6年目に入ったfumotoには、さらなる新しい計画がある。fumotoのオフィスの隣の空き店舗を活用し、この町でお店や事業などを始めたい人に向けたスタートアップ施設をつくるプロジェクトだ。

「新しく何かを始めようとするのは、多くの人にとって心理的にも資金的にもハードルが高いので、それをできるだけ低くしたい。ここは比較的大きな空間なので複数のブースに区切り、1階は小規模店舗、2階はシェアオフィスとして、新規創業者向けの場をチャレンジしやすい賃料で提供する予定です。誰もが気軽に飲食店やメーカーを始められるようにしたいです」

まさにfumotoの創業時の思いを空間にしたような場所だ。地域おこし協力隊の任期を終えた人たちが、この町に根付いて自立していくための足掛かりにもなる。先例が生まれれば、後に続くプレイヤーも挑戦しやすくなる。こうして洋野町には発展しながら未来へ続いていく「循環」が始まる。

使われる機会が少なくなった町内の劇場で年に1回、映画上映会も開催。近隣から多世代が集まる。中には若き日にここで過ごした思い出を語ってくれるご夫婦も

最後に「大原さんにとって、地域活性化とは何か?」と尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。

「人口が減少していく町では、住民一人一人の活力をいかに高めていくかが重要だと思います。これから人を雇うことが都会ですら難しくなっていく中、DXなどテクノロジーの進化はあるでしょうが、少ない人数で一人一人が活力を持って生きていくことがますます重要になると思うんです。
これまで続いてきたなりわいを引き継いでいくには、少ない人数でも続けられる工夫や気概が必要になってくるのかもしれません。今のなりわいを築いてきた皆さんから、そんなことを改めて学んでいるような気もします。

また、地域おこし協力隊や移住者が増える一方で、受け入れる側の器も変わっていかなくちゃいけないとも感じています。来る人にもそれぞれ、いろんな背景ややり方、考えがあります。それをどのように許容していくかを問われていると感じることが多くなりました。

最終的には町全体が多様な人・多様な価値観を許容していかないと、結局“住みづらい町”ということになってしまう。この町が続いていくためにも、相手を否定せずに尊重していくコミュニケーションが今後いっそう重要になりますし、多様な人が活躍できる環境づくりが必須だと思っています」

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地域おこし協力隊の受け入れ支援から始まったfumotoの活動は、地域の産業支援や新規創業支援など、多角的な展開へ進化している。大原さんが提示する「一人一人の活力」を重視した地域活性化の視点は、人口減少時代における地域づくりに大切な示唆をくれるものではないだろうか。 人が少ないからこそ、一人一人が輝く役割や活躍の場があり、その力が集まって力強い営みが未来へと続いていく。そんな洋野町を多様な仲間と共につくっていくfumotoのこれからがますます楽しみだ。

ひろのの栞
https://hirono-shiori.jp/

文:角舞子
トップ写真:髙坂 真

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