
埼玉県深谷市の七ツ梅酒造は1694年(元禄7年)、近江商人の田中藤左衛門が創業した。建物は時代を生き抜いたが、2004年に七ツ梅酒造は廃業。以降は跡地を「一般社団法人まち遺し深谷」が歴史的および文化的な施設として保存に努めている。
時代を生き抜いて、脆い分部がほころびつつも、持ちこたえている建物ほど美しいものはない。
七ツ梅酒造跡は、約950坪の土地に母屋、店蔵、煉瓦造りの精米蔵などが密集し、複雑な道をなし、それらの建築群の中から煉瓦煙突が伸びている。敷地に入ると通路は複雑で、歩くたび、あるいは角を曲がるたびに、建物や道が様々な表情を見せる。七ツ梅酒造跡には、深谷シネマがあり、深谷もんじゃ前の狭い通路があり、鬼瓦工房や書店があり、無人販売の花屋の香りが漂い……様々な店が七ツ梅酒造の抜け殻に入っている。入り口は南と北にしかなく(出口というものはない、引き返すのみ)、敷地の中にいる限り、あなたは建築群に囲まれ、古びて侘しい景観の中に溶け込むことができる。あなたは映画の主人公のように、路地に誘われ、店を覗き、煉瓦煙突を仰ぎ見るだろう。そして、あなたは壁に立て掛けられた看板を見る。その看板には大きな目だけが描かれており、その視線は、暗い通路の先の眩しい入り口に注がれているかのように思える。あなたはふと時計をみると、まだお昼になったばかりであることを知り、そろそろ鳴るかもしれないお腹をさすりながら、視界の隅に捉えた喫茶店に入っていく。看板には「50」とだけ書いてあったが、メニューで「50 COFFEE & ROASTERY」という店名であることを知る。店のカウンターに立つ店主は、輪郭のはっきりした青色といった印象である。エスプレッソを勧められたので、あなたはそれと素焚糖(すだきとう)を使ったプリンを注文する。席に座りエスプレッソがくると、砂糖を5グラム入れ、よくかき混ぜて一気に飲み干す。強烈な苦みを覚悟したが、芳醇なコーヒー豆の甘さが口の中でたわわに実るのを感じ、あなたは、ふと自分がどうやってここにたどり着いたか思い出せないことに気付く。 お伽なばしは、これくらいにしておこう。今ここで伝えたいことは、この七ツ梅酒造跡にある「50 COFFEE & ROASTERY」の事や、あなたが先程出くわした店主でもありバリスタでもある男性、五十嵐智さんについてである。

『突貫のイガラシ』
五十嵐智さんは、小学校四年生の時、埼玉県の富士見市から花園町(はなぞのまち)に引っ越してきた。花園町が2006年に合併で深谷市となり、以降は深谷の人となった。生まれは千葉県銚子市である。
2006年に深谷市で「LOTUS Café」を、2016年に七ツ梅酒造跡で「IGARASHI COFFEE」を開業し、運営している(「IGARASHI COFFEE」は2019年に「50 COFFEE & ROASTERY」へと店名変更)。2017年に株式会社and lotusを立ち上げ、飲食店の運営だけではなく飲食店の開業支援、コーヒー・厨房機器の販売設置、飲食店コンサルティング、セミナー企画や出張講師、建設工事など幅広く手掛けている。
「僕は、花園町に転校してきて、工業高校の建築学科にいって、大学も建築学科に進んだんですけど、中学、高校、大学とバスケをやっていました。大学を卒業したらゼネコンの現場監督として3年間勤めて200時間残業の残業代なし、半年間1日も休み無しみたいな環境でした。建築で独立したいなと思って、知り合いに『全て覚えられるゼネコンがいい』ってアドバイスされたんですね。」
五十嵐さんの口から聞いた経歴は、私に意外な印象を与えた。もしかすると、五十嵐さんにとってエスプレッソは飲み物というより、ひとつの緻密な構築物なのかもしれない。五十嵐さんは続けて語った。
「現場監督やりつつも、クラブチームのバスケットやってたんですよ。仕事終わって、クラブチームで練習して、練習が終わるとみんな入口で固まって話すじゃないですか。その時、こういうカフェみたいな空間いいなって思ったんですよね。それがきっかけかもしれません。その頃ちょうど銀座でエスプレッソに出会って、それに感動したことも影響しました。何に感動したかというとそのコーヒー感。コーヒーと違って、ちょっとでいいんです、エスプレッソって。」五十嵐さんは右手の親指と人差し指で、角砂糖2個分ほどをつまむようにして、エスプレッソの量を示した。「砂糖入れて飲むんですけど、飲んだらずっと心地よい余韻が続いてね。この飲み物すごいなあと思って、それからエスプレッソについて勉強しはじめたんです。都内で唯一、エスプレッソマシンを輸入している会社がセミナーをやっていて、そこにずっと通っていました。」
私は思わず首を突き出して聞いた。「ゼネコンの現場監督をやりながら、バスケのクラブチームにいたんですか。そのうえに、セミナーにも通っていたとは。」
「もうホント、僕という人間は結構面白いですよ。その当時は、現場監督やりながらアルバイト4つもしてたんですよ。」
「4つも!」
「コンビニなんか18歳から28歳まで10年間やってたんですよ。」
「理解が追いつきません。」
「確かに理解が追いつかないですよね。」と五十嵐さんは片方の目だけで私を覗き込むようにして、不敵な笑みを浮かべた。「夜11時までしかやっていないコンビニで、現場終わったあとに3時間だけ働いていました。それから大工の仕事だとか、あとはハウスクリーニング、鳶、そういう仕事もやっていました。お金を貯めたいし、独立したいのもあって。その時にはもうカフェをやるという具体的な考えはありました。」
「よく時間がありましたね。」
「クラブチームのバスケットは、仕事を途中で抜けさせてもらったんです。『バスケットだけ、やってきていいよ』って言われて。なのでバスケットやってから、また現場に戻ってたんですよ。図面描かなきゃいけなかったりするのでね。」
「過酷な現場であるかわりに、企業は寛容だったんですね。」
「そうですね。僕は会社で『突貫のイガラシ』って呼ばれていたんです。『工期が短い現場は全部、五十嵐に行かせよう』って。僕も『いきますよ』って言って、まったく休みを入れなかったんですよ。」
「小津安二郎の映画のタイトルみたいですね。『突貫のイガラシ』。」
五十嵐さんはアッハと笑いながら「休み入れなかったら、それだけ建築覚えられるじゃないですか」というので、私は呆気にとられてしまった。

カフェ開業の道はローマから
五十嵐さんは3年間でゼネコンの現場監督を辞し、契約社員として大手電機メーカーの工場で働くことになった。お金も貯まり、そこもいよいよ退職日となると、五十嵐さんは正社員にお願いをして特別に朝礼をさせてもらった。
「僕は今日で辞めます。明日か明後日にでも、イタリアに行って働いて、日本にはもう帰ってきません。」
エスプレッソの本場はイタリアである。五十嵐さんはバックパックに必要な荷物を詰め込んで、「もう帰ってこないから」と家の人に言い残し、イタリアに向かった。
それから3ヶ月後、五十嵐さんは日本に帰ってきた。
イタリアでは、ローマから始まり、ミラノ、避暑地のコモ、ヴェネチア、ナポリへ行き、イタリアの国を足の形に見立てたとき、かかとにあるバーリへ立ち寄ると、そこからギリシャのサントリーニ島に向かい、アテネからローマに戻ってきた。バルの仕事はみつからなかった。イタリアにはカフェ文化が根付いていて、コミュニティもあるから、イタリア語を喋れないことが根本の原因だった。エスプレッソの味は各地で味わうことができた。「まあ、イタリアのエスプレッソは美味しいけど、日本人のほうが器用だし。そう思って帰ってきたんです。」五十嵐さんには手応えがあった。
五十嵐さんが日本に帰ってきたという情報はすぐに大手電機メーカーの知るところとなり、また戻ってくるよう声がかかった。前回はラインであったが、今回は「カイゼンマン」のポジションである。折しも、トヨタのカイゼン方式が全国の企業に広まり、各企業でも「カイゼン」を行う「カイゼンマン」のポストを設ける動きがあった。結局、五十嵐さんは契約社員の「カイゼンマン」として大手電機メーカーに戻ってきた。そのときについたあだ名が「社長」で、正社員も「社長、社長」と呼ぶものだから、中には五十嵐さんが本当に社長だと思い込む人もいた。 2006年のある時、通っていた深谷のカフェ「ルビー」が閉店することになった。五十嵐さんは居抜きにするつもりで改めて店を見せてもらった。皿、椅子、机、スプーンなどだけでなく、チンバリの1連エスプレッソマシンがあった。これ1台でも100万円はするから、提示された300万円は悪い話ではない。五十嵐さんは300万円支払って、備品を引き継ぎ、居抜きでカフェを初めることとなった。それが1店舗目の「LOTUS Café」である。

「50 COFFEE & ROASTERY」と焙煎機のこと
2016年、七ツ梅酒造跡に「50 COFFEE & ROASTERY」をオープンし、五十嵐さんは2店舗を経営することになった。2店舗経営する計画は元々無かったと言う。
「僕はもともとコーヒーが得意で店を始めたんですけれども、なんでかケーキとご飯が売りになってしまって、女性のお客様が殆どになってしまった。もちろんコーヒー美味しいねって言ってくれたんですけれど、もっとちゃんとコーヒーをちゃんと皆さんに教えたいなという気持ちがありました。それで、50 COFFEE & ROASTERYをオープンしようと思って、七ツ梅酒造跡の内見をしたら、ここゴミ置き場だったんですよ、木屑とか資材とかの。そうした廃棄物が山のようにありました。」
「50 COFFEE & ROASTERY」には巨大な銀色の機械が奥の方で息をひそめている。機械から伸びている筒は天井を貫いて外に出ている。漏斗のような形の分部や、曲線に直線、電子モニタに白いホースなど、まるで印象派のデュシャンの絵画『階段を降りる裸体』が具現化したような代物だ。これはローリング社の大型のコーヒー焙煎機で、五十嵐さんいわく、埼玉県ではここにしかない。
「これ設置するのに、3m以上の高さがないといけないので、ここ見せてもらったときに、もう屋根も落ちていたんですけど、ここ3mあるなと思って、それで借りたって感じですね。」
そう言って、五十嵐さんは象をなだめるように焙煎機に手をのせた。
2016年に「50 COFFEE & ROASTERY」をオープンした当初はローリング社の焙煎機は無く、2020年に導入した。当時の価格で1,400万円だった。その後の物価高や円安で、今導入するとなると2,000万円くらいするかもしれない。ちょうどいいときに入れたな、と五十嵐さんは振り返るたびに思った。
焙煎機はおおよそ10分くらいで15kgの豆を焙煎する。機械上部の生豆ホッパーに接続されているホースで豆を吸い上げて、焙煎釜が設定温度になったところで生豆が投入される。古い形の焙煎機は生豆ホッパーに、人の手で何キロもの豆を入れるものが多かったが、ローリング社の焙煎機はその点、吸い上げるので効率的である。完全熱風式で熱の風をあてて焼くため、コーヒー豆の芯から焼けて綺麗に焙煎することができる。焙煎機には主に3つ熱源があり、「直火式」、「熱風式」、「半熱風」がある。それぞれ特徴が分かれるが、五十嵐さんは均一に焙煎できて豆が長持ちし、煙っぽさの少ない「熱風式」を選んだ。
すべてがモニタ管理になっており、RoRのグラフ(RoRはRate of Riseで温度の上昇率のこと。1分間に摂氏何度上昇もしくは下がったかを示すグラフ)を追いかけてバーナーの強さだけで調整する。良かった焙煎の設定を保存してプロファイリングすることで、別のスタッフに同じように焙煎する指示を出すことができる。「結局僕が倒れちゃったら焼けないじゃないですか。感覚よりもデータを元に焼いているって感じですかね。」と五十嵐さんは言う。
はたして、デュシャンの目には人間がこのように映っていたのか気になるところではある。
「コーヒーってフルーツなんですよ。なのでフルーツの味を出したければ熱風式が僕はいいと思っていて、やっぱり直火式って、うんと煙が入っちゃうので、煙で消されちゃう味があるということですね。確かに、コーヒーって苦いのが好きっていう人が沢山いるんですよ。ニーズはある。でも、コーヒーは元々フルーツなので、フルーツのような味わいがあるんですよね。だから、そのフルーツっぽさを皆さんに味わっていただきたいんです。」 五十嵐さんが提供するコーヒーは、焙煎だけでなく生豆にも強いコダワリがある。「オリジナルブレンドもそうだし、僕の焼いている豆はスペシャルティコーヒーっていう豆を焼いています。世界シェア5%くらいの豆で、農園からここまでダイレクトに入ってくるコーヒーです。一応商社を経由しているんですが、誰が造っているかが全部わかっています。プロの方で味見する人がいるんですよ。80点以上つけた豆がスペシャルティコーヒーになります。これが冷めても美味しいコーヒーって言われていて、冷めると甘みが出てきたりします。冷めてみてからも飲んでみてくださいって言っていますね。」そう言うと、コーヒーの木の造花を持ってきて、それを手に説明をはじめた。「完熟した実だけをとって、なかの種を取り出して、焼いたものがコーヒーになります。完熟したほうが甘さが丹念に出てくるからです。例えばブラジルの大農家さんだと、機械をこの枝に入れてぐわーって揺らすんですよ。そうすると、全部落ちちゃうんですよね。で、その後に機械で全部選別するんですけど、やっぱり手積みで完熟したものをとったほうが、例えばエチオピアとかですが、選別が正確で美味しいですよね。僕が完熟の実を採ったスペシャルティコーヒーを焙煎しているのは、そういうわけがあるからです。」


コーヒーを道具にしてコミュニティをつくりたい
イタリアを旅したことがあり、深谷の人でもある五十嵐さんのカフェは、ローカルとグローバルをつなぐ、分かりやすい例である。それだけに、深谷とどのように関わっていくかということは、五十嵐さんにとって、アクチュアルな問題になっていた。
「それ僕も究極の問題だと思っていて、イタリアってエスプレッソ何杯も飲みに来るんですよ。マイ・バルっていうのを持っていて、飲んだら隣の人と話して、瓶の中のブリオッシュを一個取ってコーヒーの中につけたりして食べて、『チャオ』って言ってすぐ帰るんですよね。暫くしたら、また来るんですよ。そういう文化ってすごいなって思っています。」
私は、日本に帰らないつもりでイタリアに行って、すぐ帰ってきた五十嵐さんの姿を、その話に重ねて聞いていた。

「イタリア人は気持ちに余裕があって、コーヒーを楽しむ文化がある。僕はそれを作りたいなと思ったんです。カフェで。で、これは商店街が寂しくなった理由でもあるかなと思っているんですが、商業施設ができると、みんな個々でそっちに行くじゃないですか。でもカフェみたいなところは、そうではなくて、飲みに来て、そこに居合わせた人達が色んな会話をするという事が本当はいいところなんじゃないかなと思っているんです。コーヒーを道具にしてコミュニティを作りたいとおもったのがキッカケで、僕はコーヒーを初めたのかな。LOTUS caféをオープンしたすぐ後の頃ですけど、カウンターから埋まっていくんですよね、男性客で。僕はあまり話すのが得意じゃなかったのですが、僕が二人の共通の話題をたまたま知っていたら、例えばですが『あれ、そういえばバスケふたりともやってたよね』みたいな感じで、共通の話題をふって、そうすると二人が会話を始めたら、僕は料理を始めて、ってそういう感じで人をつないでいったんですよね。」
LOTUS Caféをオープンして機軸に乗り始めた頃、イベントも行った。「Sパーティー」と称した婚活パーティーであるが、「S」はシングルス(独身者たち)を意味している。結婚が5組、カップルが20組ほど成立した。コロナ流行を機にイベントを取りやめていたが、2025年11月から再開するという。カフェのイベントと言えば、読書会やボードゲームなどを連想していた私には、婚活パーティーは驚きだった。
「やっぱり深谷に住んでもらいたいってのがあって婚活パーティーをやっていました。深谷は、おしゃれで色んなカフェあるし自然もあるし、インターもあるし、海もすぐ行けるし山もスキー場もすぐ行けるし、東京もすぐ行けるし、便利なトコロなんですよね。ロータスがあるから引っ越しましたって言ってくれた人もいるので、嬉しいな、良かったなと思います。」
今後はコーヒーやお菓子の営業を強化したいという五十嵐さん。現在30店舗ほどに豆を卸しているが、更に拡大していくつもりだ。卸先のひとつに、バンブックが運営する、「道の駅はなぞの」のFARMY CAFE~Curry standがある。この取材も、その縁を利用して、コーヒーに携わる人へのインタビューをしてみたいというのがコーヒー好きの私の魂胆であった。


五十嵐さんとの会話を振り返って思うのは、五十嵐さんの人付き合いにおける、距離の近さだ。その距離は近いというより、無いといっていいかもしれない。初めてお会いしたにもかかわらず、既にどこかでお会いしていて、まるで先週の会話の続きをするような、そうした感覚があった。五十嵐さんは、会話の最中に訪れた人々とも、『会話の続き』というような話しぶりで会話していたが、その人々がいつも来る人なのか、そうではないのか、五十嵐さんを知っている人なのか、初対面なのか、説明なしに確信させるものはなかった。まるで夢の中に出てくる人物だが、夢よりもリアルな存在だ。私にもまだ会話の続きがありそうな予感がした。 私は七ツ梅酒造の入り口から再び出って行った。看板に描かれた大きな目は私を見送った。

文・写真 大山アランラドクリフ(バンブック リロカ事業部)
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